スキーと泌尿器科と私

スキーと泌尿器科と私

4月より助教として働いている、当ブログ初登場の柴崎です。

出身は岐阜県各務原市、出身高校は岐阜県立岐阜北高校という学校です。岐阜県といっても、南の方の愛知県寄りのところで、雪はたまにしか降りません。家族で数年に1回スキー場に連れて行ってもらうくらいでしたが、そんな私が大学に入って、競技スキーなるものに出会いました。

競技スキーというのは、スタートからゴールまで決められたコースを0.1秒でも早く滑り降りることを目標としたスポーツです。風の抵抗を少しでも減らすため、レーシングワンピースという全身タイツのような服で滑ります。これが寒くて寒くて・・・。滑っている最中はアドレナリンが出まくっており何ともないのですが、リフトに乗るときは本当につらかった。また、練習の時は、広い広いスキー場のほんの1コースの端っこの方だけ、延々繰り返し滑り続けます。医学部6年間でいろいろなスキー場に行きましたが、ほとんどのスキー場でレース用のコースしか知らずに終わっています。

しかし、6年間がんばって続けたおかげで、1級と、6回生時の関西医学部対抗戦の回転(スラローム)での銅メダルという、非常にうれしい成果を得ることができました。写真は25歳の頃の若かりし日の私です。

泌尿器科に入ってからは、大学での研修終了後は、兵庫県北部の雪国、豊岡で4年間、スキー場まで車で30-40分の恵まれた環境で楽しむことができました。また、当教室の小川教授がスキー好きということもあり、年1回、京大泌尿器科出身者のスキーツアー(当初は長野でしたが、今は北海道)に参加し、存分にスキーを楽しんでおります。最近では、スキーを担いで山に登って誰も滑っていない新雪を滑るという新しい楽しみ方も覚えてしましました。

しかし、私以降は、京大医学部スキー部から一人も泌尿器科に入ってくれていないことが今の一番の悩みです。スキー部、競技スキーで培った集中力と寒さに耐える忍耐力、単調になりがちな反復練習は、今の私の泌尿器科医としての成長につながっている・・・ような気がしています。

ちなみに、大阪医大スキー部出身の妻とは、スキーの練習、大会を通じて知りあいました。