インドの思い出

先日、偶然お知り合いになった写真家のYさんの個展が京都であったので訪れてみた。今回の写真展のテーマはインドの更紗工場の職人さんたち。鮮やかに染められた更紗と汗水たらして働く職人さんたちのコントラストが眩しかった。このYさん、元は小学校の教師だったそうだが、一転、写真家に。そして、写真家として自分が撮りたいものを見つけるためにとりあえずインドに赴き、現地で自転車を500kmも漕ぐ旅の中でたどり着いたのがこの更紗工場だったという強者だ。ちょうど在廊していたYさんからこんな話を聞くうちに、自分が15年以上も前、学生時代に訪れたインドの記憶が蘇ってきた。

大学時代、ベタではあるが沢木耕太郎氏の「深夜特急」に影響を受けた私は、毎夏、バックパックを背負って旅に出かけていた。行先は年々エスカレートし、5年目に選んだのが念願のインド。好き嫌いはあるが、多くのバックパッカーが一番影響を受けた場所として挙げることが多い国だ。熱気漂うデリーに降り立ってまず気を付けたのが食事。何で読んだのか忘れたがまずは現地の食事にお腹を慣らすべしという勧めに従い、最初の数日はそこそこちゃんとしたお店でカレーを食べ続けた。これが奏功したのか、その後は街中の安い食堂を中心に一日3食カレーを食べ続けたが、約1か月間、一度も下痢すらしなかった。恐るべし香辛料の力。

その後、西方のラジャスタン地方に行くのに交通の便の問題からタクシー運転手兼ガイドを一人雇い、1週間寝食を共に。昼間はエアコンのないおんぼろタクシーで砂埃を浴びインド音楽を大音量で聞きながら移動し、夜はガイド仲間の集まる安宿で酒盛りをしながら濃密な時間を過ごした。途中のラクダツアーで砂漠で一晩を過ごしてチャパティー(ナンのようなもの)を自作したり、ガイド連中とオペラ座のようなきらびやかな映画館でインド映画を見たりしたのも忘れられない思い出だ。母校の卒業式はコスプレで毎年有名だが、私はガイド連中に着せ替え人形のようにして選んでもらったインド服(騙されて買わされたわけではない)で出席したし、帰国前には道中に聞いた曲があまりにも頭の中でグルグルと回るのでカセットテープを買ってきてしまったほどだ。

そんな旅の最も印象に残ったのがカルカッタ。今の状況は把握していないが、当時はとにかく貧しかった。安宿で朝目覚めて外を眺めると、消火栓の水を出して水を浴びる子供たちの姿が飛び込んでくる。そして乾燥した牛の糞を燃料にして路上で煮炊き。極めつけは、私が10分ほどの行水で体にぶつぶつができたガンジス河で親子で仲良く歯磨き。ガンジス河の水は昔、航海に出るときには必ず積んでいったそうだ。理由は、コレラ菌すら生えないくらい他の雑菌が溢れているから。確かに上流では火葬場があって遺灰は流されるし、牛の糞その他、何でも流れている。ちょっと雨が降ると街中でもすぐに増水し腰までつかり、その傍を色んな糞がぷかぷかと浮いている状態なのだ。しかし、何よりも衝撃的だったのは、このような現代の日本人からは想像できない生活の中でも人々が笑顔に満ちていること、そして人々が懸命に生きていることだった。決して満ち足りているとはいえない日々でも幸せそうに過ごす人々の姿は大学時代、自分が生きる意味について一時期深く考えることのあった私にとっては衝撃的なものだった。人の生きる意味なんてない、とにかくそして自分に与えられた時間、境遇を一生懸命生きるのみ。これは今でも私の人生観に最も大きく影響を与えている。日本ではインドに比べると遥かに恵まれた境遇にあるにも関わらず自殺する人が絶えない。私は妻に自分に死ぬほど辛いことがあった際には失踪するかもしれない、たぶんインドにいるだろうと伝えている。何かきっかけを掴んで帰ってこれる気がするから。

写真展の話に戻るが、一番印象に残ったのが職人さんたちの笑顔。きつい仕事だろうとは思うが、日々を一生懸命に生きている人から自然にこぼれるであろう活き活きとした笑顔に改めて元気をもらった。写真家のYさんだが、この更紗工場の写真をきっかけに労働者、職人をテーマに色々と写真を撮って世界を股に活躍されている。

ああ遥かなるインド、、、また行きたいなぁ。

文責 助教 赤松秀輔

そんな旅の最も印象に残ったのがカルカッタ。今の状況は把握していないが、当時はとにかく貧しかった。安宿で朝目覚めて外を眺めると、消火栓の水を出して水を浴びる子供たちの姿が飛び込んでくる。そして乾燥した牛の糞を燃料にして路上で煮炊き。極めつけは、私が10分ほどの行水で体にぶつぶつができたガンジス河で親子で仲良く歯磨き。ガンジス河の水は昔、航海に出るときには必ず積んでいったそうだ。理由は、コレラ菌すら生えないくらい他の雑菌が溢れているから。確かに上流では火葬場があって遺灰は流されるし、牛の糞その他、何でも流れている。ちょっと雨が降ると街中でもすぐに増水し腰までつかり、その傍を色んな糞がぷかぷかと浮いている状態なのだ。しかし、何よりも衝撃的だったのは、このような現代の日本人からは想像できない生活の中でも人々が笑顔に満ちていること、そして人々が懸命に生きていることだった。決して満ち足りているとはいえない日々でも幸せそうに過ごす人々の姿は大学時代、自分が生きる意味について一時