この5年をふりかえって

神戸の一般病院から大学に赴任したのが5年前。
この3月で大学でのお勤めを終え、一般病院に異動することになりました。
ブログはもう当たらないだろうと安心しきっていましたが、のがれきれず今書いています。
定番ですがこの5年を振り返ってみました。

◆1年目: ヒラの助教。
病棟では修練医(卒後3年目)と一緒に患者をもちました。

再診外来、専門外来、新患外来を合わせると、週2-3回は外来業務。別に週2日の手術をこなし、その合間を縫って当教室が編集をしている泌尿器科学術雑誌の編集作業、学会発表の準備、外勤に追われていました。

1年目の前半は電子カルテや院内の取り決めなどになじむのに大変だったです。
電子カルテが使えずに外来患者からなじられたこともありました。

◆2年目: 副医局長という役職になりました。
実際には宴会の会計係。すべての宴会に参加することが必要です。

もともとお酒はあまり強くないのでちょっとしたストレスでした。
でも周りはそうは思っていないようで、「楽しんでたやないか!」といわれてしまいます。

またこの年から腎移植の外来を担当することになりました。
研修医のときに腎移植した患者さんと15年ぶりぐらいで再会し、感慨深かったですね。

◆3年目: 昨年の副医局長から医局長に出世。
宴会の幹事と司会、新入局の医局員のお世話、学生勧誘、外勤の調整が主な仕事。

医局長というと、他の大学では教室人事に関与しているという話も聞きます。でもうちはそれはなし。気楽でした。
宴会の盛り上げはすべて後輩のS先生にお願いしていました。彼は歩いているだけでウケをとる人で、教室の雰囲気作りに欠かせない人でした。S先生ありがとう。

4年目: 3年目の途中から副病棟医長になりました。
文字通り「病棟医長」のサポートです。

実際には病棟医長が出張などで不在のときの留守番役。
このときはまだ「病棟医長」いう仕事がどれだけ大変か理解していませんでした。

◆5年目: 病棟医長になりました。
病棟の最終責任者で重い仕事です。
円滑に手術が終わるように手術予定を調整し病棟の運営を担います。
全病棟患者の経過を把握し、主治医からの相談にも応じます。

この1年、白髪も増えたし、生え際も後退しました。
おかげで患者さんには「ちょっと働き過ぎちゃいますか?体大事にしなはれや」と気遣ってもらったり。

唯一楽なのは病棟では患者をもたないこと。
そのため修練医がつかず、実は結構孤独だったりもします。
最初の3年半は修練医や医員と一緒に同じ患者を診ていましたが、やっぱりこれが一番楽しかったなあと思います。

4月からは大阪の一般病院に赴任することになり、2月末で病棟医長を退きました。
驚いたのは病棟医長をやめた途端にPHSが鳴らなくなったことです。
たまに鳴っても間違い電話。自分は人望がないのだろうか?と思ってしまいます。
それだけみんなが病棟医長に報告してくれていたということで、無事病棟運営できたことに感謝しています。

(大久保)