人間万事塞翁が馬

みなさん、はじめまして。医員の松岡と申します。
スタッフの先生から何かおもしろブログを書いてね、と言われたので今こうして原稿を打っています。

前回上山先生は子育て生活に関する素晴らしいブログを書かれていました。
残念ながら僕は絶賛独身生活謳歌中ですので、普段の生活は家に帰ったらテーブルにアリがたかっていました~的なことしかなく、あんなハートウォーミングな文章は書けません。

じゃあ何を書こうかと思ったら自己紹介くらいしかないんで、自分の生い立ちなんかを書かせてもらおうと思います。

ちなみに僕は読書が趣味なのですが、速読を駆使し去年1年間で100冊を読破!
今日も仏教に関する本と日本文化に関する本を読みました。
若者の活字離れが叫ばれる昨今、三度の飯の次くらいに活字好きの僕が、好きな作家はニーチェとか書いてしまうこの僕が、豊富な読書量に裏打ちされた知性と教養に溢れたブログを書きたいと思います。
仏教の本を読んだばかりですから、輪廻とかについて熱く語ってしまいそうな感じです。題名からして故事成語ですからね、教養の匂いがぷんぷんしてきますよ。

京大の先生は子供の時はどんな子供だったの、と思われる読者の方もおられると思うんですが、僕は生まれた時からめちゃくちゃ早熟な子供だったようです。

親が言うにはハイハイをしたのが4ヶ月半、1歳ジャストの時にはもう走っていたそうです。少なくとも1歳1ヶ月の時に走りながらサッカーボールを蹴っている写真があるんで、多分本当に走っていたんでしょう。
僕は自分に子供がいないので比較できませんが、これはかなり早いらしいですね。

その勢いのまま僕はグングン成長し、小学校6年生の時には身長が170cmに!!
当然のようにクラスで一番身長が高く、二番の子と身長差が15cmあるというぶっちぎりの一位でした。今僕は身長182cm、体重(中略)kgありますが、僕は体型的に中学校2年生からなんら変わっていません。恐ろしい中学生ですね。

そんなこんなで身長が早く高くなっただけならよかったのですが、残念ながら顔面はそれ以上のスピードで成長してしまいました。

そうなんです。僕、老け顔なんです。

成長が早かったので幼稚園のころに小学生に間違えられる、といったことはよくありました。それくらいならかわいいものなのですが、小学校5年生の時に塾に向かう電車の中で、そう、その悲劇は起こったのです。

「浪人生も大変ねえ~」

響く見知らぬおばちゃんの声。
ふ~ん、浪人生がいるんやなあって思う僕。
がらんとした電車の中。
こちらを向いているおばちゃんの顔。
見つめ返す僕。

ん?
僕?僕に言ってる?

いやいやいやいや、僕11ですよ?teenagerにすらなり立てですよ。普段ランドセルですよ?
サッカーでいうならU-12の選手がいきなりオリンピック代表のU-21に選出されるようなもの。どんだけ飛び級やねん!って話ですよ。
そのあとはもう塾なんかに行ける精神状態ではなくなってですね、塾をサボってモスバーガーでやけ食いに走りました。ほんと全米が泣いた。

そんなこんなで僕は老け顔界の至宝、いわばメッシとして老け顔界のエリート街道を突っ走ったまま医者になったわけですが、ここで大きな転機が訪れます。

患者さんは自分の命を預けるわけですから、どうしてもベテランの先生に診てもらいたいと考えるもの。誰でも経験不足の先生に診てもらいたいとは考えないですよね。
なので研修医で童顔の先生はそう見えないためにヒゲを生やしメガネをかけたりする人もいました。40歳くらいの童顔のベテラン先生が、患者さんからもっと上の先生に担当を代わってほしいと言われて困っているのを見たこともあります。
そう、医者にとっては若く見えることは決してアドバンテージではないのです!!

僕はすっぴんで見た目年齢45overでしたから、そんなヒゲをはやしたりとかは全くの不要。
研修医一年目は色々な科をローテーションするのですが、大体どこの科でもNo.2位に間違えられていました。

例えば、血液内科をローテートした初日、上級医の女性の先生が患者さんに病状説明を行うことになりました。初日だったので僕は先生の後ろでその説明を聞きながら、なるほど~そんな風に治療するんやな~とか思ってたんです。
でも患者さんは説明をしている女性の先生ではなく、じっと研修医の僕を熱い眼差しで見つめてきました。

説明が終わったあと、患者さんは僕にこう聞きました。
「先生!!先生ご経験では、私の病気が治る確率は何%でしょうか?」
いやいや、あんたが初めてだよ、と喉まで出かかっていましたがとても言えず、薬の効き方は人によって違うからなんとも言えませんね、とか言ってしまいました。
周りの先生、看護師さんの苦笑いが忘れられません。

こういった経験は研修医一年目のときだけでも挙げたらキリがありません。
毎日訪室するだけで
「先生みたいな上の先生が毎日きて下さって!!」
と涙を流して感動してくれた患者さんもいました。
入院して治療継続が必要な患者さんが退院すると言い張って、40くらいの先生が説得に難渋しているときも、
「まあ、先生が退院したらあかんっていうなら・・・」
と僕の一言であっさり入院継続になったこともありました。恐ろしや、老け顔パワー。

そんなこんなで僕は研修医のころから老け顔のおかげで比較的患者さんからは信頼を得やすかったのではないかと思います。この時、初めて自分が老け顔であることに感謝したのでした。

もし僕が古代の中国に生まれていたらですね、

「人間万事老け顔の松岡」

とかいった一見ただの悪口のような故事成語が生まれていたに違いない!
とかにやにやしながら考えていたらもう深夜の2時でした。

今日はこの辺で。